54: アセチルコリンエステラーゼ(Acetylcholinesterase)

著者: David S. Goodsell 翻訳: 工藤 高裕(PDBj)
アセチルコリンエステラーゼ(PDB:1acj)

筋肉を動かす時や考える時はいつも神経細胞が熱心に働いてくれている。神経細胞は信号の受け取り、それに対して何をすべきかを決定し、隣接細胞へと新たな信号を発信するという情報処理を行っている。その中には筋肉細胞と直接やりとりを行い、収縮指示の信号を送る神経細胞もある。一方情報の統制にだけ関わる神経細胞もあり、こちらは一生神経細胞とだけ交信を行う。ただ、ヒトの官僚機構とは違って、生命において変わり続ける要求に対応するため情報処理は迅速に行われなければならない。

神経伝達物質

神経は神経伝達物質(neurotransmitter)を使って他の神経や筋肉細胞と通信している。この物質は神経細胞から放出される小さな分子で、速やかに隣接細胞へと拡散し、たどり着くとある決まった反応を促す。様々な種類の神経伝達物質があって、それぞれ異なる仕事を受け持っている。グルタミン酸(glutamate)は神経を興奮させ、GABAは情報の行き来を阻害する。ドーパミン(dopamine)やセロトニン(serotonin)は思考や認知に関する巧妙な信号に関係している。アセチルコリン(acetylcholine)は主に信号を神経細胞から筋肉細胞へ運ぶ仕事を担っている。運動神経細胞(motor nerve cell)が神経系から特有の信号を受け取ると、シナプスから筋肉細胞へとアセチルコリンを放出する。そこでアセチルコリンは筋肉細胞上にある受容体を開き、筋肉を収縮させる。もちろん、一旦信号が役目を終えると、神経伝達物質は破壊されなければならない。さもないと後からやってきた神経伝達分子は、雑然とした使用済み神経伝達分子とごちゃ混ぜになってしまう。このもう要らなくなったアセチルコリンを一掃するのがアセチルコリンエステラーゼ(acetylcholinesterase)の仕事である。

アセチルコリンエステラーゼの活動

アセチルコリンエステラーゼは神経細胞と筋肉細胞との間にあるシナプスで見られる。辛抱強く信号が来るのを待ち、信号が来ればすぐに活動を始めてアセチルコリンを酢酸(acetic acid)とコリン(choline)の2つに分解する。この反応によって信号は効果的に止まり、断片は再利用されて次の信号に使う新たな神経伝達物質が再構築される。アセチルコリンエステラーゼは私たちが持つ酵素の中で最も大きな反応速度を持つ酵素の一つであり、1分子当たり約80マイクロ秒で分解してしまう。

電気魚

アセチルコリンエステラーゼは最初、シビレエイ(torpedo ray)のような電気魚(electric fish)で見られるものを使って研究された。この魚は電気を作り出す器官の中に神経様のものを多数並べた構造を持っているので、アセチルコリンエステラーゼが特に豊富に見られるのである。ここに示したもの(PDBエントリー 1acj)は結晶構造の中で2量体を形成している。通常はタンパク質鎖に脂肪が付加され、これによって酵素は細胞膜につなぎ止められている。しかし、結晶化のため結晶構造からは脂肪が取り除かれている。活性部位は深い溝の中にあって、アセチルコリンが中へ滑り込めるだけの十分な大きさがある。溝の底には3つ組のアミノ酸〜セリン(serine)・ヒスチジン(histidine)・グルタミン酸(glutamate)〜があり、これはトリプシンやキモトリプシンのようなセリンプロテアーゼ(serine protease)で使われる3つ組のアミノ酸とほぼ同じものである。

アセチルコリンエステラーゼの攻撃

上:アセチルコリンエステラーゼ(PDB:1b41) 中央:アセチルコリンエステラーゼに蛇の毒素が結合したもの(PDB:1b41) 下:アセチルコリンエステラーゼにアルツハイマー病の薬が結合したもの(PDB:1eve)

アセチルコリンエステラーゼは必須の機能を担っているため、これが私たちの神経系において弱点となりうる。この酵素を攻撃する毒物は、神経シナプスへのアセチルコリン蓄積を引き起こし、筋肉を麻痺させる。長年にわたって、アセチルコリンエステラーゼは自然界の敵から様々な方法で攻撃を受けてきた。例えば、ある蛇の毒はアセチルコリンエステラーゼを攻撃する。右図上は酵素の活性部位となるトンネルを上からまっすぐ見下ろしたもの(PDBエントリー 1b41)で、活性部位のセリンを赤で示している。右図中央はヒガシグリーンマンバ(eastern green mamba、アフリカで見られる毒蛇)の致死的な毒がどのようにして活性部位を阻害し、酵素が活動できなくしてしまうのかを示している。なお、蛇の毒に関する追加情報が欧州バイオインフォマティクス研究所(EBI)の「今月のタンパク質」(Protein of the Month)に掲載されている。

現在医師はわざとアセチルコリンエステラーゼに毒を盛り、アルツハイマー病(Alzheimer's disease)の症状を消失させようとしている。アルツハイマー病の患者は病気の進行に伴い多くの神経細胞を失う。患者はアセチルコリンエステラーゼの働きを部分的に阻害する薬を摂取することによって、神経伝達物質の濃度を上昇させ、残っている神経信号を強くすることができる。この目的で用いられた薬を右図下(PDBエントリー 1eve)に示した。薬は活性部位の窪みに入って、一時的にアセチルコリンが入るのを阻害する。一方、次項に示す他の毒素はより長く継続的に阻害し続ける。

構造をみる

サリンと結合したアセチルコリンエステラーゼの活性部位(PDB:1cfj)

神経毒のサリン(sarin)やマラチオン(malathion)のような殺虫剤はアセチルコリンエステラーゼの活性部位機構に直接攻撃を加える。上図の構造(PDBエントリー 1cfj)はサリンによって毒された後のアセチルコリンエステラーゼの活性部位にある3つ組アミノ酸を示している。通常の反応では、セリンアミノ酸がアセチルコリンのアセチル基(acetyl group)と結合を形成して分解を行う。そして、ほんの数ミリ秒の間に、水分子がこの新たにできた結合を切断し、酢酸が解放されて、セリンは元の型に戻る。ところがサリンは、意地の悪いメチルリン酸基(methylphosphonate group、図では MeP と示されている)をセリンに転移する。リン酸はアセチルコリンよりもずっと安定で、酵素は何時間あるいは何日ものあいだ働くことができなくなる。

"アセチルコリンエステラーゼ" のキーワードでPDBエントリーを検索した結果はこちらで参照できます。

なお、アセチルコリンエステラーゼの活動の様子を示した動画が http://www.weizmann.ac.il/sb/faculty_pages/Sussman/movies.html で見ることができる。

更に知りたい方へ

以下の参考文献もご参照ください。

この記事はRCSB PDBPDB-101で提供されている「Molecule of the Month」の2004年6月の記事を日本語に訳したものです。転載・引用については利用規約をご覧ください。

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