076: 赤血球凝集素 (Hemagglutinin, ヘマグルチニン)
このページはRCSBの David S. Goodsell博士による「Molecule of the Month」2006年4月の記事を日本語に訳したものです。転載・引用については利用規約をご覧下さい。
「今月の分子」一覧に戻る / この記事のRCSBオリジナルサイト(英語)を見る
:翻訳 工藤高裕 (PDBj)
赤血球凝集素(PDB:1ruz) 下の灰色の帯はウイルスの膜、橙の帯は膜につなぎ止めているペプチド断片を示す。

インフルエンザウイルスは危険な有害物である。しかし通常は免疫機構がウイルスを根絶し、数日間ひどいインフルエンザの症状を引き起こした上で感染を撃退する。また我々は、毎年インフルエンザワクチンを使って免疫機構にあらかじめウイルスの情報を与えて、最も一般的なインフルエンザの型と闘う準備をする。ところが数十年ごとに、より強い病原性を持ち急速に広がることができる新しい型のインフルエンザが現れる。この新型ウイルスによる大流行(スペインかぜ)が第一次世界大戦時の終期に起こり、その結果世界で2000万人以上が犠牲になった。この人数は戦争による犠牲者数の倍以上である。

対象と攻撃

赤血球凝集素(ヘマグルチニン、hemagglutinin)はインフルエンザウイルスの活動が大変効果的である理由の1つである。これはくぎ型をしたたんぱく質で、ウイルスの表面から突き出ている。右図に示したPDBエントリー 1ruz の構造は活性型赤血球凝集素のもので、青と橙で示した2種類の鎖で構成されている。青い鎖が標的を検知する部分で、我々の細胞たんぱく質上にある特有の糖鎖を探し出す。目標の糖鎖を見つけると、赤血球凝集素は細胞に結合し、橙の鎖が攻撃を開始する(後述)。赤血球凝集素という名前は、インフルエンザが赤血球を凝集させることができることに由来する。このウイルスはたくさんの赤血球凝集素分子で覆われていて、これが赤血球同士を接着させ目に見える凝集塊にしてしまう。

人目を忍ぶ亜型

インフルエンザウイルスの各型が持つ特異性と危険は、それぞれが持つ赤血球凝集素の型に依存する。赤血球凝集素亜型の種類は1ダース以上知られている。そのうちの3種(H1、H2、H3と呼ばれる)はヒトを攻撃する。それらは我々の気管にある特有の糖鎖を見つけ出すのに特化しており、それらが体内に入り込むと我々はインフルエンザに感染してしまう。一方H5型などは鳥の消化器系にあるたんぱく質を攻撃する。亜型のほとんどは我々には危険ではなく、鳥の生命をおびやかす病気としてよくあるものでもない。鳥は目に見えないウイルス保有宿主として存在しているのである。潜在的な危険は、異なる型が遺伝子を交換し始めた時に起こる。

H5N1型鳥インフルエンザは、鳥の数を激減させたことでニュースになっているが、今のところ我々にとっては危険ではない。なぜならこのインフルエンザウイルスはヒトの細胞を攻撃するぴったりの赤血球凝集素を持っていないからである(N1の名称は2つ目のウイルスたんぱく質である ノイラミニダーゼ (neuraminidase)に由来する)。ところが、ヒトに特有な赤血球凝集素を獲得する可能性があり、もしそうなれば深刻な問題となる。ウイルスがヒト感染性を獲得する方法の一つにはブタが関与している。ブタは何種類かのウイルス亜型に感受性があり、その亜型には鳥を攻撃する型とヒトを攻撃する型の両方が含まれる。もし一匹のブタが同時に2種類のウイルスに感染すると、感染中に両ウイルスの遺伝子が交換されうる。これが、鳥インフルエンザウイルスの病原性に、ヒト細胞を攻撃する能力が組み合わさったウイルスができる一手段となりうるのである。

致死的な薬剤

ここに示す赤血球凝集素は1918年に多くの犠牲者を出した大流行の時の実際のウイルスから得られたものである。この赤血球凝集素は、保存されていたサンプルから取り出したDNAの情報を元に研究室内で作られたものである。2つの結晶構造が得られており、ここに図示したPDBエントリー 1ruz は活性型の構造を、ここには図示していないPDBエントリー 1rd8 は前駆体の構造をとらえたものである。このたんぱく質は、結晶構造では示されていないたんぱく質の短い断片によってウイルスの膜とつながれている(図下部の概念図で示した部分)。

バイオインフォマティクスの視点で見た赤血球凝集素に関する更なる情報が、欧州バイオインフォマティクス研究所の「 今月のたんぱく質 (Protein of the Month)」の「 鳥インフルエンザ赤血球凝集素 (Bird Flu - Haemagglutinin)に掲載されています。

赤血球凝集素の活動

赤血球凝集素とウイルス感染。左)標的細胞の細胞膜にある糖(緑)に結合(PDB:1hge)、中央)酸性条件下で融合ペプチドが突き出た形に変化(PDB:1htm、PDB:1ibn、PDB:2vir)、右)細胞膜とウイルス膜を近寄せてた状態(PDB:1qu1)

赤血球凝集素は細胞を標的として攻撃する致死的な分子機械である。その反応はいくつかの段階を経て行われる。

まず、突起の頂上付近にある3つの結合部位が細胞たんぱく質にある糖(上図左 PDBエントリー 1hge の緑色の部分)と結合する。

次に、ウイルス全体が細胞内にあるエンドソームに運ばれ、細胞は酸を加える。通常ならこの作用によってエンドソーム内の物質は消化される。ところがウイルスの場合、酸性環境下では機構を攻撃する部隊を提供する。酸の中において、赤血球凝集素は折りたたみ構造は一旦ほどかれ、完全に別の形となって再度折りたたまれる。上図中央(PDBエントリー 1htm1ibn2vir )の橙と赤で示した部分は、通常たんぱく質に折りたたれているが、酸性環境では上に飛び出る。赤色の部分は融合ペプチドと呼ばれ、膜との強い親和性を持つ。そしてこの部分が細胞膜に差し込まれ、ウイルスが細胞に固定される。

そして、上図左(PDBエントリー 1qu1 )に示したように黄色の部分がたんぱく質の側面を引き上げ、2つの膜を近づかせる。最後に、赤血球凝集素の新しい構造はなんとかして2つの膜を融合させ(その部分についてはまだよく分かっていない)、ウイルスのRNAは細胞内に入り込んで、感染の過程が開始される。

構造をみる

(PDB:1qfu)赤血球凝集素(青、茶)と抗体のFab断片(赤紫)。

抗体 はインフルエンザウイルスに対抗する最初の防衛線である。PDBエントリー 1qfu の構造は抗体がどのように赤血球凝集素に攻撃し、ウイルスが細胞表面に結合できないよう遮断しているのかを示している。この構造には赤血球凝集素(青、茶)と抗体のFab断片3つ(ピンク、Fab断片はY型抗体の腕の一方)が含まれている。もちろん、ウイルスは抗体による攻撃から逃れる方法を見つけ出す。その方法は、新しい型を作り出すというもので、それによって毎年我々に感染している。新しい型を作る一つの方法は、赤血球凝集素表面の炭化水素鎖の位置を変化させるというものである。そのような炭化水素を、上図では緑色で示した。ウイルスが、抗体結合部位に新たな炭化水素鎖を追加すると、抗体はもはや有効ではなくなってしまうだろう。

赤血球凝集素抗体の構造を見る時は、生物的単位を使って構造を見るようにして下さい。

2006/03/30 にPDBで "hemagglutinin"(赤血球凝集素)のキーワードで検索した結果リストを開く

赤血球凝集素についてさらに知りたい方へ

以下の参考文献もご参照下さい。

  • JJ Skehel and DC Wiley (2000) Receptor binding and membrane fusion in virus entry: the influenza hemagglutinin. Annual Review of Biochemistry 69
  • RG Webster and EJ Walker (2003) Influenza. American Scientist 91 (March-April), 122-129.
  • TH Sollner (2004) Intracellular and viral membrane fusion: a uniting mechanism. Current Opinion in Cell Biology 16



「今月の分子」一覧に戻る
Loading...
Loading