72: ATP合成酵素(ATP Synthase)

著者: David S. Goodsell 翻訳: 工藤 高裕(PDBj)
ATP合成酵素、F0モーター(青、PDB:1c17)、F1モーター(赤、PDB:1e79)、固定子の断片(橙、PDB:2a7u、1l2p)。膜は灰色でおおよその位置を示す。
ATP合成酵素、F0モーター(青、PDB:1c17)、F1モーター(赤、PDB:1e79)、固定子の断片(橙、PDB:2a7u、1l2p)。膜は灰色でおおよその位置を示す。

ATP合成酵素(ATP synthase)は分子世界における不思議なものの1つである。ATP合成酵素は酵素でもあり、分子モーターでもあり、イオンポンプでもある。そして別の分子モーターも合わせて一緒に包み込み、1つの驚くべきナノスケールの機械になっている(1nm(ナノメーター)は10億分の1m)。私たちの細胞における反応過程の動力を供給するATPの大半を作るという欠かすことのできない役割を担っている。この仕事を行う機構は実に驚くべきものである。

回転モーター

ATP合成酵素は2つの回転モータでできており、それぞれが異なる燃料によって動作する。上にあるモーターはF0と呼ばれる電気的なモーターである。F0は膜(灰色の帯で模式的に示した)に埋まっており、膜を越えて移動する水素イオンの流れによって動力が供給される。水素イオンがモーターを通って流れると、円形の回転翼(青色の部分)が回る。この回転翼はF1と呼ばれる2つ目のモーターにつながっている。F1モーターは化学的なモーターで、ATPによって動力が供給される。2つのモーターは固定子(Stator、図右の黄色い部分)によってつながっているので、F0が回ればF1も回る。

生産を行うモーター

ではなぜ2つのモーターがつなげられているのだろうか? この方法を使うと1つのモーターがもう一方のモーターを回し、モーターを発電機に変えることができる。これが私たちの細胞内で起こっている。つまり、F0モーターが水素イオン濃度勾配によるエネルギーを使ってF1モーターを回し、ATPを作っているのである。私たちの細胞内では、食物を分解しそれを利用して水素イオンをミトコンドリア膜の外へくみ出している。ATP合成酵素のF0部分は水素イオンを膜内へ還流させ、回転翼を回転させる。回転翼が回ると、車軸(axle)も回ってF1モーターは発電機になり、それによってATPが作り出される。

部品の一覧

ATP合成酵素のように大きくて複雑な機械は、構造科学者に難しい問題をつきつける。そのため、このような機械は一部分だけで構造が決定されることがよくある。ここに示した図はX線結晶解析やNMRスペクトルを使って決定された別々の構造4つを合成したものである。F0モーターはPDBエントリー 1c17に登録されている。F1モーターおよび2つのモーターをつなげる回転軸はPDBエントリー 1e79に登録されている。固定子は最もとらえるのが難しい部分で、ここにはPDBエントリー 2a7u1l2pに登録されている2つの断片を示した。

なお、遺伝的視点から見た追加情報が、欧州バイオインフォマティクス研究所(EBI)の「今月のタンパク質」で提供されているので合わせて参照いただきたい。

F1サブユニットの構造を見る

ATP合成酵素のF1サブユニット(1e79) 左はADP結合段階にあるサブユニットを、右はATP解放段階にあるサブユニットを赤で示した。
ATP合成酵素のF1サブユニット(1e79) 左はADP結合段階にあるサブユニットを、右はATP解放段階にあるサブユニットを赤で示した。

PDBエントリー 1e79にはATP合成酵素のF1モーターの構造が含まれている。これが発電機として動作するときは、回転動作によるエネルギーをATP合成に使い、モーターとして動作するときは、ATPを分解して得られたエネルギーで回転軸を反対方向に回転させる。ATPの合成には、ADPとリン酸の結合、新たなリン酸間結合の形成、ATPの解放といったいくつかの段階が必要である。回転軸が回転すると、モーターはそれぞれの難しい反応段階を助ける3種類の配置をとる。ここにはそのうち2つの段階での構造を示した。左はADPの結合を助ける段階の構造を、右はATPを解放する段階の開いた構造を示している。奇妙な形をした回転軸がどのようにして配置を変化させているのかに注目して欲しい。

中央の回転軸はG鎖(青)、H、I鎖(水色)で構成されている。サブユニットのうち3つ、D、E、F鎖ははATPを合成する部分で、左図ではE鎖が、右図ではD鎖が赤色で示されている。サブユニットA、B、CはD、E、Fと似ているが、こちらは構造的な役割を果たしており、全体をひとつにまとめている。この図では相互作用がよく見えるように、手前にある2つのサブユニット(左図のC、F鎖、右図のA、D鎖)は取り除かれている。

F0サブユニットの構造をみる

ATP合成酵素のF0モーター(PDB:1c17)。
ATP合成酵素のF0モーター(PDB:1c17)。

PDBエントリー 1c17にはF0の電気的モーターの構造が登録されている。この図は、回転軸を上から見下ろしているもので、最初に示した図を上から見たものに当たる。回転翼は青で示した12本のタンパク質鎖で、イオンポンプは赤で示した1本の鎖で構成されている。ポンプは、水素イオンを回転翼のアスパラギン酸(aspartate)に渡す役割をするアルギニン(arginine)アミノ酸を持っている。アスパラギン酸は通常負電荷を持つアミノ酸であるが、回転翼は膜の脂質によって囲まれているため、非常に居心地が悪い。そのため、回転翼はアスパラギン酸に水素が付加されて電気的に中和された状態の時のみ回転する。水素イオンはF0モーターにあるらせん状の経路を通り、その過程で回転翼を回す。水素イオンはポンプ中にあるアミノ酸鎖によって集められ、アルギニンへと運搬される。アルギニンは水素イオンを回転翼に渡し、水素イオンを受け取っている間はずっと回転翼は回り続ける。そして水素は、ポンプ中にある他のアミノ酸によって負荷が取り除かれ、最終的に膜の反対側に渡される。この水素イオンがポンプを通る正確な経路は、まだ懸命に研究されているところである。

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ATP合成酵素についてさらに知りたい方へ

以下の参考文献もご参照ください。

この記事はRCSB PDBPDB-101で提供されている「Molecule of the Month」の2005年12月の記事を日本語に訳したものです。転載・引用については利用規約をご覧ください。

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