28: 炭疽毒素(Anthrax Toxin)

著者: David S. Goodsell 翻訳: 工藤 高裕(PDBj)
炭疽毒素の構成要素。左:感染防御抗原(protective antigen、PDB:1acc)、中央:浮腫因子(edema factor、PDB:1k90)、右:致死因子(lethal factor、PDB:1jky)

炭疽(Anthrax)は一般によく知られた病気ではないにも関わらず、炭疽毒素(anthrax toxin)という言葉はよく知られている。ヒトにとって、炭疽の病気にかかるのは簡単ではない。なぜならヒトからヒトへは伝染せず、感染した動物あるいはその産物を通してかかるからである。だが最近になって、炭疽はバイオテロ(bioterrorism)による重大な脅威となる可能性が増してきた。これは効果的な兵器となりうるからである。なぜなら、何年にも渡って蓄積される堅い胞子(spore)を作り、吸入されると急速に致死的な感染を引き起こすからである。

致死的な組み合わせ

炭疽は一般的なものより大きな細菌である「炭疽菌」(Bacillus anthracis)によって引き起こされる。皮膚や肺に胞子がとどまると、急速に増殖して3つの部分から成る毒素を作り出す。これらは致死性を最大限発揮できるよう設計されており、恐ろしく効果的である。毒素は、細胞を探し出す搬送機構(delivery mechanism)と細胞を素早く殺す毒性酵素(toxic enzyme)で構成される。炭疽毒素は1つの搬送分子を持っているが、これは炭疽ワクチン(anthrax vaccine)で用いられることから「感染防御抗原」(protective antigen、上図左、PDBエントリー 1acc)と呼ばれる。この分子は残り2つの部分である浮腫因子(edema factor、上図中央、PDBエントリー 1k90)と致死因子(lethal factor、上図右、PDBエントリー 1jky)を搬送する。この2つの因子が細胞を攻撃する毒性をもたらす働きをする部分である。

致死的な細菌毒素の仲間たち

この種の複数の部分で構成される毒素は細菌の世界では極めてよくあることである。なぜならそれが非常に素晴らしく効果的だからである。コレラ(cholera)を引き起こす細菌が作る毒素(コレラ毒素、cholera toxin)や百日咳(whooping cough)を引き起こす細菌が作る毒素など、他にも多数のこのような事例がPDBに登録されている、搬送部分は細胞表面を探し出すのに特化し、最大の損害を与えることができる毒性部分を細胞内に挿入する。毒性部分はシアン化物(cyanide)やヒ素化合物(arsenic)よりもずっと効果的である。これら毒素の攻撃は一対一の攻撃で、1分子のシアン化物分子は1分子のタンパク質分子を毒する。一方毒性酵素はコンパクトな細胞を殺す装置である。一旦細胞内に入り込むと、破壊行為を行いながら分子から分子へと渡り歩く。これらの分子は非常に効果的なので場合によっては1分子が細胞内に入り込んだだけで細胞全体を殺すことができる。

感染防御抗原

炭疽毒素の感染防御抗原(左、最初の不活性状態 PDB:1acc、右、活性状態になった7量体 PDB:1tzo)

感染防御抗原は炭疽毒素の搬送を担っている機構である。炭疽菌はまず上図左(PDBエントリー 1acc)に示すような1本鎖としてこの分子を分泌する。分泌されたこのタンパク質は細胞表面を見つけ出して結合する。するとヒトの細胞表面にあるタンパク質分解酵素によりこの分子から小さな断片(青色の部分)が切り出され、機構は動作できる状態になる。そしてこの残った緑の部分が7個集まって上図右に示すような環状構造(PDBエントリー 1tzo)を形成する。この環状構造は細胞表面に強く結合し、輪を細胞膜の中へと伸ばして穴を形成していると考えられている。次に毒素の残り2つの部分がこの環状構造に結合して細胞内に運搬される。

致死因子と浮腫因子

左:炭疽毒素の浮腫因子(edema factor、PDB:1k90)、右:炭疽毒素の致死因子(lethal factor、PDB:1jky)

毒性をもたらす炭疽毒素の構成要素は、2つとも細胞の信号伝達機能に攻撃を加える酵素である。これらは感染防御抗原によって細胞内に運び込まれると活動を開始する。浮腫因子(上図左)はアデニル酸シクラーゼ(adenyl cyclase、アデニル酸環化酵素)という酵素である。この酵素はATP(緑色の部分)を取り込んでリン酸2個を切り出し、残った1個をつなぎ直して環状AMP(cyclic AMP)を作る。環状AMPは細胞内における重要な信号伝達分子であり、ホルモンによって届けられた情報を中継するのによく用いられる。例えば、アドレナリン(adrenaline)に反応して環状AMPが増えると心拍数が増える。浮腫因子は細胞から環状AMPを流出させ、通常はホルモンによって維持されている均衡を崩してしまう。

一方、致死因子(上図右)は浮腫因子とは別の敏感な箇所を攻撃する。こちらは非常に特異的なタンパク質分解酵素で、対象となるタンパク質に切断を加える酵素である。対象となるのは、分裂促進因子(mitogen)によって活性化されるタンパク質キナーゼキナーゼ(protein kinase kinase、リン酸化酵素をリン酸化する酵素)の似たもの何種類かである。上図では、緑色で示されている切断対象の小さな断片が、毒素の活性部位に結合している。このリン酸化酵素は細胞の成長と増殖において重要な別の信号伝達経路の最終段階にとって不可欠な過程を担う酵素である。致死因子は一連の信号経路における重要な段階の一つを働かなくすることによって、細胞の成長と増殖の制御ができなくしている。

構造をみる

浮腫因子(左:不活性状態 PDB:1k8t、右:活性状態 PDB:1jky) 紫は活性に重要なループ領域、黄色はカルモジュリン

浮腫因子は活性化されると、私たちの細胞内で非常に一般的に見られるタンパク質であるカルモジュリンに結合して細胞内へと入り込む。活性化前の浮腫因子は上図左(PDBエントリー 1k8t)に、活性化後の浮腫因子は上図右(PDBエントリー 1jky)に示す。左図中に黄色で示すカルモジュリンがどのようにして浮腫因子を開き、活性部位をより有効化しているかに注目して欲しい。またカルモジュリンは紫で示す2つの重要なループの場所も移動させている。不活性型では、一方のループは活性部位から離れた場所にぶら下がり、もう一方は構造が定らない領域(disorder領域、上図右の紫色の点で示す部分)となっている。活性型では、これら2つのループはATPを強く捉え、環状AMPへと変換する活性部位の一部を形成する。

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参考文献

以下の参考文献もご参照ください。

この記事はRCSB PDBPDB-101で提供されている「Molecule of the Month」の2002年4月の記事を日本語に訳したものです。転載・引用については利用規約をご覧ください。

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