194: 人工設計インスリン(Designer Insulins)

著者: David S. Goodsell 翻訳: 工藤 高裕(PDBj)

インスリンは、その貯蔵・分泌に特化した膵臓(すいぞう)細胞の中に6量体の形で蓄えられる。受容体に結合する時は活性のある単量体(右)となる。緑で示すA鎖と青で示すB鎖があり、黄色で示すジスルフィド結合でつながっている。亜鉛イオン(赤紫)とタンパク質相互作用によって6量体は安定化している(PDB:1trz)。
インスリンは、その貯蔵・分泌に特化した膵臓すいぞう細胞の中に6量体の形で蓄えられる。受容体に結合する時は活性のある単量体(右)となる。緑で示すA鎖と青で示すB鎖があり、黄色で示すジスルフィド結合でつながっている。亜鉛イオン(赤紫)とタンパク質相互作用によって6量体は安定化している。

1世紀前には糖尿病(diabetes mellitus)に対する治療法はなく、症状は常に致命的なものであった。ところがこの厳しい現実はインスリン(insulin)の発見により激変した。現在では一転してインスリン治療により糖尿病を制御できるようになり、血糖値上昇による有害な諸症状を最小限に押さえて生き延び、有益な人生を送れる様になった。最初は、ウシやブタなどの家畜から得られたインスリンを使っていて、様々な不純物による問題に悩まされていた。しかし組換えDNAによるバイオテクノロジーを使って、純粋なヒトのインスリンを生産するよう改変を加えた細菌を作り出され、この問題は解消された。これがバイオテクノロジーにおける初期の成功事例となった。ここに示す構造(PDBエントリー1trz)は最初の組換えヒトインスリンを使って解かれた構造で、ヒューマリン(Humulin)という商品名で販売されている。

治療の調整

皮膚の下に組換えヒトインスリンを注射すると、血糖値は急速に低下するが、その効果は数時間のうちに弱まってしまう。この血糖値制御法がよく効くのは食事の直後だけである。体内の各細胞は、食事と食事の間には筋肉や肝臓に蓄えられているグリコーゲン(glycogen)を使ってエネルギーを得ている。通常の環境下であれば、膵臓すいぞうは常に低濃度のインスリンを分泌し、食事をとっていない時の血糖値を制御している。この後すぐ、組み換え型ヒトインスリンがアメリカ食品医薬品局(US Food and Drug Administration、FDA)によって認可された。そして、遺伝的に改変を加えた、より長時間効いて基底状態の血糖値制御を助ける別のインスリンを作る試みが始まった。

ゆっくり効くインスリン

ゆっくり効くインスリンを作る方法は、分子構造の知見から着想を得たものである。インスリンは6量体の形で膵臓すいぞうに貯蔵される。血液中に放出されインスリン受容体(insulin receptor)に結合する時にはばらばらになって活性のある単量体となる。ゆっくり効く分子を作るには、インスリンの6量体を安定化してもっとゆっくり分解されるようにする必要がある。最初の成功例は、インスリンに魚が持つタンパク質の一種プロタミン(protamine)を結合させた異種タンパク質複合体で、血液中でゆっくり分解する。そして、同じことが起きるよう設計した新たなインスリンが作られた。まず2つのアルギニン(arginine)残基をB鎖の末端に付加した。この追加したアミノ酸は6量体をより安定なものにしてくれる。しかし、この修飾を加えたインスリンはやや安定過ぎることが分かった。この性質を調整するには、A鎖の末端にあるアミノ酸をグリシン(glycine)と入れ替えるという追加修正が必要であった。そしてついに希望するような程度でゆっくり効くインスリンが完成した。これはグラルギン(Glargine)という商品名で販売されている。

希望に合った相互作用を作り出す

デグルデクは人工的に設計されたインスリンで、B鎖のC末端に長い炭化水素鎖(ピンク色の部分)が付加されている。これらの鎖は明らかに可動性が高く、結晶構造が解けるぐらいおとなしくしているのは6本中2本しかない。ここではそのうちの1本が各6量体の右側に示されている。もう1本はこの図では示されていない(PDB:4ajx)。
デグルデクは人工的に設計されたインスリンで、B鎖のC末端に長い炭化水素鎖(ピンク色の部分)が付加されている。これらの鎖は明らかに可動性が高く、結晶構造が解けるぐらいおとなしくしているのは6本中2本しかない。ここではそのうちの1本が各6量体の右側に示されている。もう1本はこの図では示されていない。

効果が長く持続するインスリンは、分子の末端に長い炭化水素鎖を付加する方法によっても作られてきた。この修飾によって、6量体がいくつか集まり血液中でゆっくり分解される凝集体が作られるようになった。凝集体は血液中にあるタンパク質血清アルブミン(serum albumin)との相互作用もより安定なものにしてくれるので、この人工設計インスリンの効果はさらに持続する。ここに示す構造はデグルデク(Degludec、PDBエントリー4ajx)のものである。1本の炭化水素鎖が2つの6量体の間をつないでいるこの結晶構造から、人工設計インスリンホルモンが皮下に注射された後、どのようにして高次の凝集体を作るのかについてのヒントが得られる。

構造をみる

(左)天然のインスリン(PDB:1tyl)(右)即効性インスリンの一種 ヒューマログ(PDB:1lph)

表示方式: 静止画像

対話的操作のできるページに切り替えるには図の下のボタンをクリックしてください。読み込みが始まらない時は図をクリックしてみてください。

遅効性インスリンは食後すぐに用いる即効性インスリンと組み合わせて使う。6量体を不安定化するという分子的手法を使って作られる即効性インスリンは、血液に入ると速やかに分解されて単量体となる。最初に設計された即効性インスリンは、B鎖のC末端近くにある2つのアミノ酸残基の順番を逆にしただけという最小限の改変を加えただけのものであった。だが、この改変によってインスリン単量体同士の相互作用は弱まり、この変異型6量体は天然のものと比べ200倍も安定性が低いものとなっている。この即効性インスリンはヒューマログ(Humalog、PDBエントリー1lph)という商品名で販売されている。インスリン分子構造の更なる研究によって、電荷のあるアミノ酸を同じ位置に追加しても同じ結果が得られることが分かった。こちらの即効性インスリンはアスパルト(Aspart、PDBエントリー4gbc)という商品名で販売されている。図の下のボタンをクリックして対話的操作のできる画像に切り替え、これらの構造をより詳しく見てみて欲しい。

理解を深めるためのトピックス

  1. インスリンペーパーモデルの型紙データを使ってペーパーモデルを作ることができます。またインスリンについての解説がPDB-101のサイトにあります。
  2. 驚くべきことに、フェノール(phenol)やクレゾール(cresol)のような低分子で保存力のある分子はインスリン治療において重要な役割を果たしていて、6量体が血液に到達するまで安定な状態を保ってくれます。PDBに登録されているインスリン構造の多くはこのような分子を含んでいて、6量体を構成する各鎖の間の相互作用を安定なものにしています。
  3. 鎖1本でも極めて安定なインスリンを設計する方法の探索も行われています。例えば、PDBエントリー2jzqの構造を見てみてください。

参考文献

  1. J. Pettus, T. S. Cavaiola, W. V. Tamborlane & S. Edelman 2015 The past, present, and future of basal insulins. Diabetes/Metabolism Research and Reviews DOI:10.1002/dmrr.2763 PMID:26509843
  2. R. Hilgenfeld, G. Seipke, H. Berchtold & D. R. Owens 2014 The evolution of insulin glargine and its continuing contribution to diabetes care. Drugs 74 911-927 DOI:10.1007/s40265-014-0226-4 PMID:24866023 PMC:PMC4045187
  3. 4gbc L. C. Palmieri, M. P. Favero-Retto, D. Lourenco & L. M. T. R. Lima 2013 A T3R3 hexamer of the human insulin variant B28Asp. Biophysical Chemistry 173 1-7 DOI:10.1016/j.bpc.2013.01.003 PMID:23428413
  4. 4ajx D. B. Steensgaard, G. Schluckebier, H. M. Strauss, M. Norrman, J. K. Thomsen, A. V. Friderichsen, S. Havenlund & I. Jonassen 2012 Ligand-controlled assembly of hexamers, dihexamers, and linear multihexamer structures by the engineered acylated insulin degludec. Biochemistry 52 295-309 DOI:10.1021/bi3008609 PMID:23256685
  5. 1lph E. Ciszak, J. M. Beals, B. H. Frank, J. C. Baker, N. D. Carter & G. D. Smith 1995 Role of C-terminal B-chain residues in insulin assembly: the structure of hexameric LysB28ProB29-human insulin. Structure 3 615-622 DOI:10.1016/S0969-2126(01)00195-2 PMID:8590022
  6. 1trz Ciszak, E. & G. D. Smith 1994 Crystallographic evidence for dual coordination around zinc in the T3R3 human insulin hexamer. Biochemistry 33 1512-1517 DOI:10.1021/bi00172a030 PMID:8312271
  7. 1tyl G. D. Smith & E. Ciszak 1994 The structure of a complex of hexameric insulin and 4'-hydroxyacetanilide. Proceedings of the National Academy of Sciences USA 91 8851-8855 PMID:8090735 PMC:PMC44704

この記事はRCSB PDBPDB-101で提供されている「Molecule of the Month」の2016年2月の記事を日本語に訳したものです。転載・引用については利用規約をご覧ください。

	{
    "header": {
        "minimamHeightScale": 1.0,
        "scalingAnimSec": 0.3
    },
    "src": {
        "spacer": "/share/im/ui_spacer.png",
        "dummy": "/share/im/ui_dummy.png"
    },
    "spacer": "/share/im/ui_spacer.png"
}