170: 広域中和抗体(Broadly Neutralizing Antibodies)

著者: David S. Goodsell 翻訳: 工藤 高裕(PDBj)
広域中和抗体のFab領域(青)とHIV外被糖タンパク質の外側部分(タンパク質は黄と赤、糖は橙)(PDB:4nco)

HIV(ヒト免疫不全ウイルス)やインフルエンザウイルスのようなウイルスは、免疫系からの攻撃を避けるためこっそり忍び込むような方法を使う。免疫系は外来の分子を探すが、あるウイルスはウイルス特異的な部位を隠し、通常のヒトが持つ分子のふりをする方法を見いだした。ウイルスはこれを実行するのに様々な方法を使っている。ウイルス表面にある糖タンパク質(glycoprotein)は感染細胞の中で合成されるが、これはヒトのタンパク質を覆う糖鎖と同じもので修飾されている。これはウイルスの存在をごまかすのに効果的である。また、ウイルスタンパク質が持つ保存された機能部位は、糖鎖で囲まれた窪みの奥深くに隠されていて、そこまで抗体がたどり着くのは難しい。更に、ウイルスは間違いを起こしやすい複製機構を持っているため、作られるウイルス糖タンパク質は非常に多様なものとなっている。そのため残念ながら、感染したウイルスを認識する抗体が仮に見つかったとしても、別のウイルスはすぐに変化して認識された部位を変化させ、免疫系から逃れてしまう。

免疫系の反撃

免疫系が作る抗体は、ウイルス表面にあって簡単に接触でき、重要な配列や多様な配置よく見られる「ループ部分」に注目しがちである。しかしこのやり方には難点があり、2つの理由を挙げることができる。まず、ウイルス集団はこの抗体を素早くかわしてしまう。また、タンパク質の中で抗体が攻撃対象としている部位は、機能にとってあまり重要ではない。だが、驚くべきことに、何年もの間感染と戦った末、広域中和抗体(broadly neutralizing antibody)を作り出すヒトが現れた。「広域」という名前は様々な系統のウイルスを攻撃できることに、「中和」という名前はウイルスの重要な機能部位を攻撃して感染を阻止することに由来する。ただ残念なことに、このような抗体が作られるようになる時期は通常遅すぎて、病気を効果的に防ぐことはできない。

HIVを攻撃する

現在、広域中和抗体を研究し、ワクチンを使って免疫系を刺激しこのような抗体を素早く作らせる方法を探す努力が続けられている。この抗体は通常とは異なる対象を認識するので、通常とは違う抗体と言えるだろう。ここに示す一例(PDBエントリー 4nco)は、このような抗体の多くに見られる方法を使っていて、抗体のFab(Fragment, antigen-binding 、抗原結合性フラグメント)の片方(青)と、HIV外被糖タンパク質(HIV envelope glycoprotein)の外側部分(タンパク質は黄と赤、糖は橙で表示)を含んでいる。この抗体が持つループの一つは通常よりも長く伸びていて、まるで糖鎖の覆いを通してウイルスの糖タンパク質の奥にある保存部位を指でつついているようである。抗体の残りの部分には、いくつもの小さな変化が施されており、これによって攻撃対象を取り囲んでいるタンパク質や糖との相互作用をより確かなものにしている。

インフルエンザウイルスを攻撃する

インフルエンザウイルスの赤血球凝集素に3つの広域中和抗体が結合したもの(PDB:3sm5、4fqi、3sdy)

広域中和抗体がインフルエンザウイルスを攻撃する時も、保存された機能部位に着目するが、この場合対象とするのはウイルスが持つタンパク質の一つ赤血球凝集素(hemagglutinin、ヘマグルチニン)で、この中にある弱い部分を攻撃する。左図上にある抗体は、受容体結合部位に伸びるループを用い、HIVに結合する抗体の時と似た方法をとる。また図の下方左右にある2つの抗体は、赤血球凝集素が持つ別の保存された機能部位を攻撃する。この部分は膜融合に関係している。この3つの抗体はいずれも構造がPDBに登録されていて、PDBエントリー 3sm54fqi3sdyでみることができる。いずれの構造もこの図に示すように赤血球凝集素と結合している。

構造をみる

左:RSウイルスの融合糖タンパク質と抗体(PDB:4jhw)、右:広域中和抗体結合型の糖タンパク質(PDB:4mmv)

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対話的操作のできるページに切り替えるには図の下のボタンをクリックしてください。読み込みが始まらない時は図をクリックしてみてください。

この研究の最終的な目標は、このような広域中和抗体の産生を促すことで感染から保護するワクチンの作り方を見つけることである。素晴らしいことに、構造に基づいてワクチンを設計するというこの目標はRSウイルス(respiratory syncytial virus、RSV、呼吸器多核体ウイルス)では達成された。この研究では、まず最初にウイルスの融合糖タンパク質(fusion glycoprotein)の受容体結合部位を働かなくする特に強力な抗体(上図左、PDBエントリー 4jhw )の構造を研究するところから始められた。こうして得られた構造に基づき、抗体結合型と同じ形をとる可溶な型の糖タンパク質が設計された。これには、上図右(PDBエントリー 4mmv)に示すように多くの変異を必要とする。マウス(ハツカネズミ)やマカク(ニホンザルなどを含むサル類)に、この人工設計タンパク質を使ったワクチンを接種すると、ウイルスに対抗する免疫を得ることができる。上図下のボタンをクリックして対話的操作のできる図に切り替え、このタンパク質の構造についてより詳しく見てみて欲しい。

理解を深めるためのトピックス

  1. PDBエントリー 1op5 の構造にはドメインが入れ替わった珍しい抗体が含まれています。この抗体には、2つの各Fabドメインにある通常の結合部位とは別に、3つ目の結合部位があります。HIV外被糖タンパク質の表面にある糖を攻撃するのがこの広域中和抗体です。
  2. 抗体は柔軟性が高いので、通常結晶学者は抗体Fab領域の片方だけを解析対象とします。抗体全体の構造例は、今月の分子「抗体」のページをご覧ください。

参考文献

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代表的な構造

4nco: 広域中和抗体が結合したHIV外被糖タンパク質
外被糖タンパク質は、感染対象となる細胞にウイルスを付加し、ウイルス膜を細胞膜と融合させる。この構造にはウイルス膜から伸びている部分が含まれていて、ここに広域中和抗体が結合する。
3sm5: インフルエンザウイルスの赤血球凝集素に広域中和抗体が結合した構造
赤血球凝集素はインフルエンザウイルスを感染対象となる細胞にウイルスを付加し、ウイルス膜を細胞膜と融合させる。この構造にはウイルス膜から伸びている部分が含まれていて、ここに広域中和抗体が結合する。
4fqi: インフルエンザウイルスの赤血球凝集素に広域中和抗体が結合した構造
赤血球凝集素はインフルエンザウイルスを感染対象となる細胞にウイルスを付加し、ウイルス膜を細胞膜と融合させる。この構造にはウイルス膜から伸びている部分が含まれていて、ここに広域中和抗体が結合する。
3sdy: インフルエンザウイルスの赤血球凝集素に広域中和抗体が結合した構造
赤血球凝集素はインフルエンザウイルスを感染対象となる細胞にウイルスを付加し、ウイルス膜を細胞膜と融合させる。この構造にはウイルス膜から伸びている部分が含まれていて、ここに広域中和抗体が結合する。
4mmv: RSウイルスのワクチンタンパク質
RSウイルスのワクチンは、中和抗体を作らせるウイルスの融合糖タンパク質の配置を安定化させるよう設計された。この構造には人為的に設計されたワクチン糖タンパク質が含まれる。

この記事はRCSB PDBPDB-101で提供されている「Molecule of the Month」の2014年2月の記事を日本語に訳したものです。転載・引用については利用規約をご覧ください。

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